明智憲三郎『「本能寺の変」は変だ』文芸社

明智憲三郎『「本能寺の変」は変だ』文芸社

新しい歴史読み物へ明智光秀の子孫による、本能寺の変の真実に迫る読み物になっている。

一般的な本能寺の変の解釈はおよそ次のようなものだろう。

織田信長は事あるごとに明智光秀をいじめていた。それをねたんで光秀は謀判を起こして京都の本能寺で信長を撃った。備中高松で毛利軍と対峙していた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)はその知らせを聞くと仇討ちを決意して猛スピードで京都へとって返して光秀を山崎の合戦で打ち破った。光秀は本拠地の近江坂本城に帰る途中、竹やぶで落人がりの地侍に槍に刺されて死んだ。堺で本能寺事件の勃発を知った徳川家康は急ぎ三河に帰る決意をした。途中、襲われる危機に会いながらも、命辛々本国へ逃げ返り、光秀討伐に出陣したが、もたもたしているうちに先をこされてしまった。

と言うようなものだ。

そのようなストーリーはのちの世に捏造されたものだと著者は言う。そんなストーリーを作った真犯人こそが秀吉だというのだ。本能寺の変の真実を求めての著者の歴史捜査報告こそが本書である。

語り口はこれで三度目の著書になるらしく、ぐいぐい引っ張っていってくれる。

結論を言ってしまっては面白くないので止めておくが、これは歴史書と言うよりもやはりは歴史小説に近い。しかしこれまでの歴史小説と言う作りではない読み物なのだ。

「歴史操作」と言う言葉遣いといいここは坂口安吾の「歴史探偵」の系譜をひく新しい歴史エッセイとなっていると言えるだろう。

関裕二の歴史物と同じ推理物になっている。でもこんな読み物にするには長い研究作業がいるし、何度も書き直すということが必要なんだろうと思う。そこには、現代人の感覚の延長としての歴史解釈はやはりいただけない。これまでの歴史小説が面白くないのは、この現代人感覚の推理だからだ。

時代に合わせて、その時代状況を加味して想像してみないと決して正解は出てこないし面白くないものだ。著者もそれを強調している。

この方法が戦国ものに可能なら有名な明治維新ものももっと可能かもしれない。

歴史を学ぶと言うことがこの本でも出てくるがやはり未来に向けての人間の理解と言うことで見つけて出さないと意味がないだろうと言うところで著者、明智憲三郎と共感できる。

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