柴山桂太『静かなる大恐慌』集英社新書
グローバリゼーションからくる悲劇
先日、柴山氏の講演をたまたま受ける機会があって、感銘をうけたのでもっと知りたいとさっそく読みだした。
歴史上、実はグローバル化は二度起きているという。
第一次は19世紀後半から20世紀前半、第二次は1970年ごろから始まりだして今日まで。今回は二回目のグローバル現象なのだという刺激ある講演だった。
それを受けていうなら、グローバル化は必ず反動としての「保護主義」「ナショナリズム化」を生むのだという。そして、先のグローバル化のときは戦争で終わった。今回もその戦争の危機は無視できないが、「静かなる大恐慌」とはまだ戦争は起こっていないが、1929年のような恐慌に襲われる段階に突入しているという危機をさしている。
日本は特に外圧のショックが大きく出る。
1997年のアジア通貨危機の時もそうだったし、2007年のサブプラムローン危機の時もそうだった。今年のイギリスのEU離脱も一番株価を下げたのは日本だった。
「世界的な恐慌の拡大を防ぐには、各国が内需を拡大させる以外に方法はありません」
「一度失った産業の競争力を取り戻すのは、簡単ではありません」
「アメリカの事例にみるように、いったん始まった産業の空洞化、より正確に言えば『脱―製造業(de-industrialization)』の流れは、簡単に逆戻りさせることができないのです」
「資本が次々に移動するグローバル化の時代には、いったん外に出た生産拠点が本国に戻るのは簡単ではないのです(それを戻すには、かなり明確な保護主義政策が必要でしょう)」
「世界経済が停滞または縮小しているときに各国が輸出拡大に走ると、とたんに国家同士の対立を激化させてしまうのです」
等々。
■また〈新自由主義〉と呼んでいるものが実は〈新重商主義〉であるという指摘はなるほどとうなずいた。自由と言いながら、自分たちにとって都合が悪くなるといつも政府を使おうとする新自由主義者をみていて苦虫をかみつぶしていたからだ。
「スミスの重商主義批判のポイントは、重商主義は国民全体の幸せにならない、ということでした」
「ドルの基軸通貨としての地位、つまりドルを自由に発行できる地位をアメリカが絶対手放すはずはありません」
「国家は単なる経済的な存在ではなく、他の国家に対抗して国益を守ろうとする政治的・軍事的な存在でもあります。そう考えれば、自由資本主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっているのです」
「例えば先進国の場合、農業はどこも苦境に立たされています」
「国民の歴史や風土と深く結びついた農業は、簡単になくしてしまうわけにはいかないのです」
「ブレトンウッズ体制の目的は、戦前の失敗を繰り返さないという点にありました」
「この先、起こりうることとして、必ず念頭におかなければならないのが、グローバル化の反転です。保護主義が急激に台頭する可能性を意識しておかなければならないのです」
では、どうするのか?
戦争を避けるのはいうまでもない
戦争をせずに今回のグローバル化はどう抜け出せと言っているのだろうか?