竹村公太郎『水力発電が日本を救う』東洋経済新報社
読みたかった本なので一気に読んでしまった。なぜ水力発電が日本を救うのかと言うと本の表紙にすべて書いてある通りだ。それは日本が気候と地形によって水力発電に適していると言うのだ。これが基本的メッセージであってそれに尽きると言っていいだろう。
そのポイントと言うのは以下の通りだ。
1 これ以上もう日本にダムを増やさない。
2 今あるダムを満水にせず半分しか使っていないのでこれを満水にすることによって2倍の発電量が得られる。
3 なぜか、それは目的が〈治水〉と〈利水〉と〈環境保全〉の三つになっていたのだ。
問題は河川法にあって明治29年の〈治水〉と舟運が目的だったのから昭和39年に〈利水〉が加わった。そして平成9年に〈環境保全〉が加わったのだ。このように河川法の目的が3回も変わっていることによる。
この目的の後に「河川のエネルギーは最大限にこれを利用しなければならない」という文言を入れるだけでいっきに問題は解決するというのだ。
4 行政は今は何も動き出そうとしない。ただ許認可権を持っているだけなので積極的に動けないが、河川法が上記のように変われば動き出すだろう。
5 そして一番大事なのはなんといっても水は誰のものかという問いに対してこれは皆のものという意識が強く働くことだろうと言っている。このことは風力発電や太陽光発電がその土地の所有者の自由になることに比べると意識の違いは大きくて、そう簡単に決まらないということだ。
そういえば水利権については小説「夜の果ての浮遊」で扱ったことがある。まだこのときは水利権なるものがかなり歴史の厚みのある動かしがたいものと理解していたが、もはやそんなものはないのかもしれない。
第二章以下はダムの強度、中小水力発電経営、等々について触れている。
なぜ、再生エネルギーの利用と言う話題に取り付かれているのだろう。おそらく脱原発という意識があることは間違いないが、エネルギーの効率的な利用、そして日本の国産エネルギーという視点に関心があるのだろう。その意味ではナショナリズム的な発想もあるのだと思えるのだが、まさにこれは一人の近代人的発想に外ならないのだろう。
それが全人類一般へと拡大できるかと言う視点であって、やはり生命体にとって危険な放射能はやはり無理があるのだ。そんなこんなことを考えていたら、やはり水力発電は魅力的だ。地域と共に開発すると言う意義もあって、政治的課題であるとともに、エネルギー開発という一石二鳥ではないかと思う。原発はエネルギー開発はうなづけても、地域との共存には問題があった。
まして、福島以後は容易に承認できない。
風力や太陽光のように事業者だけで完結するよりも、水源地域を巻き込んでの村おこし、町おこしに貢献できたらとつくづく思う。
ある意味全く無駄ではあるかもしれないんだけれども、こういう知識が入るとどんどんアイデアが湧き出して止まらなくなってしまうのはなぜなんだろう。ああすればいい、こうすればどうかと。でも、ふと我に返ると、人生あといくらも時間が残っていないのに何もかもできるわけないと落ち込んでしまう。現実的に今さら何もできない自分がいるのに夢想だけが駆け巡る。
それでも、小説に負けずおとらず、大変楽しい読書だった。