吉川洋『人口と日本経済』中公新書 

吉川洋『人口と日本経済』中公新書

書店で売上10位、10万部突破と言うポップを見つけて、つい手を出してしまった。

しかし、率直に言って面白くはなかった。

折角、マルサスの『人口論』(第1版だという)を引き合いに出して、経済書は学術書ではなく、論争的なパンフレットが面白いと言い出しておきながら、この本では論争の書でもなければ、刺激的でもなく悪魔的でもなかった。よくお勉強されている〈賢コ〉の書いた本というなんとも中途半端なものになっている。

結局、人口減少だから、どうだというのか? そのことが述べられていない。人口減少しても経済成長はイノベーションだから、そんなの関係ないと言っているかと思うとそうでもない。サプライサイド(供給側)の経済論ではダメなんだと言っているかと思うと、消費が重要だとする経済論には触れずに〈需要〉という言葉で逃げる。

イノベーションしたって消費する人口が減少すれば、作ったモノやサービスはどこで消費するんだろう。そこには踏み込まない。

そして「あとがき」に突然「人口減少を本気で止めるならば、決め手はドイツが選択した移民の受け入れである」と出てくる。なぜなんだ?。

そこへ至る前になぜ人口減少をくい止めつつあるフランスの場合を検討しないんだ。あまりにお粗末じゃないかという不満が残る。

この毒にも薬にもならない新書がなぜ10万部なんだと訝る。

どうせ、厳しい現実をみたくない能天気が読んで自らを慰めているんだろう。それが10万人もいるんだぜ。

それでも、新しい知見はあった。

第一にバーナード・マンデヴィルを教えてもらった。

これは経済思想というよりは文学であって(もちろん文学であってもいいのだが)いわゆる正論ではないが逆説的に人間の真実を扱っている。でも、マンデヴィルを持ち出すならジョルジュ・バタイユもあつかってほしかった。

第2になぜ経済では「人間が何をやってもエネルギーは不変なのに、GDPが大きくなっていくの」(p-148)という質問に対し「価格とは、人間がモノやサービスに主観的につける点数なのだ」と答えるところで、いわゆるマルクスを引き合いに出すと使用価値ではなく交換価値になっているからであって、いわば幻想なのだという部分だ。貨幣と言う幻想の世界のことだから、なんとなくわかっていたことに言葉をもらったようなものだ。そうだとすると「成長ゼロ」などという考えがまったく無意味なものだということがわかるだろう。ゼロ成長なんて本来ありえないのだ。なぜって人間の幻想性にかぎりはないから。

第3にはやはり経済とは何かについての章になるだろう。

p-137で「経済とは人間が行っているこうした『集団的な物資代謝』にほかならない」とある。「こうした」と言うのは生存のために外敵から身を守るとか、食料を獲得するとか、という集団的な活動のことだという。しかし、これは経済ではない、経済システムのことだ。経済とは何か。それは生存のための物質代謝(決して物資の代謝ではなく物質代謝だ)のことなのだ。明日を明後日を生きるために糖質、タンパク質、脂質などを取り入れてエネルギーを生みだし代謝するという物質代謝のことを言う。とうぜん人間だけではないから「人間」は「生命」とおきかえなくてはならない。

また、それは生命一般ではなくて「生命個体」のことなのだ。なぜなら死ぬのはいつも生命個体であって、生命が死んだことは一回もないからだ。(ここは理解しずらいかもしれないが、ギリシャ哲学で言うところのヴィオスとゾーエの違いから類推してもらえれば理解の助けになるかもしれない)

そうすると、経済とは「生命個体が生存を維持するために行う物質代謝のこと」を意味する。と書き直さなくてはならない。

経済システムを経済と誤解しているのであって、経済システムならいくらでも変更可能だし、観念世界のことにつながっている。

ただ食っていければいいというだけのことなら、その食料の生産量によって人口は決定すというマルサスの人口論の法則にしたがうだろうが、そうではなかったということを論じておきながら、経済と経済システムと取り違えているのだ。

あとは蛇足になるが、トマ・ピケティが何度か登場する。その評価は「トマ・ピケティのような主張もあることにはある。しかし、今のところピケティの主張にたいしては、理論的にも実践的にも反論のほうが優勢である」という一文のみだ。あとは、なぜそうなのかという文章はなく、ただの「あてこすり」になっている。当の評価にしても、どこに「実証的」「反論」があるのかの「注」すらもない。この文書にいたる前段には労働分配率が60%から70%で推移して安定しているから格差は生じていないという文脈になっている。たしかピケティが問題にしたのは労働分配率ではなく賃金格差であったし、なによりも賃金だけでなく冨の格差といって、資産をふくめた格差(格差と言っているが不平等のこと)を言ったんじゃなかったのかな。明確な反論も実証もなく、文献注すらもなくいわれのない否定をしているように思える。

(実証については、統計資料成立以前についても、あらゆる歴史資料を駆使して引き出してきたデータを間違いだというなら、自分でも歴史資料に分け入ってデータをつくり、反論すべきであって、そのような批判をした人はいない。口先だけでもの言う、知的怠慢である)

追加

ところで本書の主張は、むろんこれらのことではなく、人口減少によるペシミズムに陥ることは無いよというものだった。しかし、そもそもだれが本当にぺシミックになっているのだろうか? 政府だって同じだろう。人口減少に本腰を入れているようには見えない。そもそもの問いが切実ではないから、論旨がおかしくなる。問題の立て方が逆なのだ。人口減少をぺシミックにとらえているからではなく、人口減少を重大な危機だと捉えるべき主張こそが必要なのではなかったのか。経済成長はイノベーションだから大丈夫というなら、人口減少は大した問題ではないというべきだったのだ。

そうでないのなら、経済成長はイノベーションで決まるという論旨だけでよかった。こんな屈折した謂いのために知的自慢に終わっている。

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