中村安希『N女の研究』は新鮮だ

中村安希『N女の研究』は新鮮だ

今回は悪態をつくのではなく、まともな書評のつもり。著者がどんな人か全く知らないが、久しぶりに新鮮で面白いものをよんだという印象だ。

N女と言うのはNPO法人で働く、新しいタイプの女性のことで、NPO法人と言えば、けっこううさんくさい法人もあるし、かつ従来どおりのボランティア団体かとおもったらさにあらず。

自立経営をめざして、補助金などをあてにしないNPO法人がふえているという。そこで働いてみようという女性は、高学歴で一流企業出身者がいるというのだ。実際に働いている女性たちのインタビュー集なのだが、そこに共通しているのは、思いついたらすぐに行動するという行動力、おもしろいものを求めてガマンすることがないという貪欲さ、そして仕事に熱心だけれども配偶者はきっちり見つけてくるというバランス感覚にあると僕は感じた。

著者は、新しい可能性をN女に見ているがそれはどうだろうか? たてまえではなく、当事者意識を持った新しい芽は評価できるが、持続可能かというと心もとないのではないか。

10人にインタビューした2年間で5人は退職しているし、その後再就職しているのは1人だという。ここに登場する人たちのことではないが、平成25年内閣府の調査ではNPO常勤有給職員の人件費の中央値は222万円だという。これではやはり長く続けていくことは困難だろう。

また、女性社会の行く末というか女性の生き方、働き方にも立ち入って考察しているので、多角的な女性問題の現在ともいえる議論を提供しているだろう。あえてそこには踏みこみませんが……。

ところで、この書がなぜ新鮮に感じたのかについて考えてみた。それは全体に流れる、当事者意識を持った女性たちが現実の最前線で奮闘しているということもあるだろうが、「おわりに」で少し漏らしたこんな言葉にヒントがあると思う。

「現実について語ろうとすれば、痛い目に合う。実感を伴った言葉を拾おうとすれば、きっと彼らは叩きのめしにくるだろう。物を書くようになって7年目、私はそのカラクリを学んだ」

この言葉の「彼ら」とは「己の正義を疑わない人権派の人々」とある。「特定の単語の扱いをめぐって踏み絵」を仕掛けてくるというのだ。ストレートに出てくるN女たちのことばの際どい表現を削除したり書き変えたりしたが、ひとつだけ残したとある。

(そこのところは、実際に読んでみてほしいがそんなに問題かなぁとも思う。これが問題ならまさに闇だ)

一つだけではなくて、残そうという意識が、そここに垣間見られるというのが、この本に充満しているのではないかと思う。ストレートと新鮮さを感じされるのは、オブラートに包んで問題の核心を見えなくしてしまってはなんにもならないとする著者の意識だろう。

ちなみに、かれら人権派は「己の正義を疑わない人権派」ではなくて、あくまで自分たちの権益をまもるポジショントークをしているだけで、なんら正義でも人権でもない。むろん当事者意識なんてものはなく他人事である。よってなにも解決しない。と僕はうすうす感じている。

書くことによって、お金をもらっているライターさんにとっては、やっかいな存在に違いない。しかし、書き下すということは、たてまえをなぞることではないことは言うまでもなく、ましてノンフィクションというなら、その直接性こそが命なのであるから、ストレートでないものは、気の抜けたビールのようなものだろう。

僕の知人に農業NPOに勤めるNさんがいる(いや、偶然ですがNさんなんです)笑顔のステキな美人であるけれど、彼女が高学歴で、高収入の夫をもち、たよりになる実家をもつているのかどうかは知らないが、TFJ(ティーチ・フォー・ジャパン)に勤める森山円香さんの発言として出てくる「自分の手の届く範囲、人の顔が見える範囲をよくしたい」という言葉とおなじようなことを言っていた。Nさんならここに登場するN女たちのことをどう感じるだろうかと想像してみた。

男性なんて、せいぜい6~7タイプに分類できるぐらいだが、女性はかなりバリエーションに富んでいて、確実にその幅は男性より広いと思える。著者は「女性社会が『一枚岩であない』」というが、当然だろう。

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