ブライアン・エヴァンソン『ウインドアイ』
どこかですでに紹介したかもしれないが、思い出せない。なんとか読み終えたという気分だ。
夢見が悪いのは日常のことだけれども、それと同じぐらい嫌な気分だ。本の帯にあるような動揺させられ、狼狽させられなんてもんじゃない。どこまでも救いなく、よほど気力を持って立ち向かわないと、つい負けてしまう。
ほぼ読み終えたけれど、いづれも覚えているようなものはない。嫌な気分が残ったというだけである。
しかし、この作家の文学的才能は大したもんで、これだけ救いなく最後まで押し通せるのはなかなかできるもんじゃないと思う。
ヴィクター・ラヴィエルの言う「骨に染み込むユーモア」というのは理解できなかった。ユーモアというにはよほど暗い過去があるのか、それともモルモン教徒だったとあるから、なにか信仰上の問題でもあったのかもしれない。処女作が冒瀆的であるとして破門になったとあるから、それが関係しているかもしれないがよくわからない。
ただ、このどこまでも暗い色調といい、うごめき苦しむ状態がいつまでも続いていくという小説は、いつか痛快になるかと信じていても、いつまでも痛快になることはないということで終わる、語りでもあって、模範的な物語とはいいづらいものかもしれない。(楽しくなきゃいやと言う人はかなりいる)
そんなに嫌ならやめておけばいいのに、ついつい読んでしまうのはどうしてだろうか?
あまりに読み切るのに時間がかかってしまったので、諸作品は覚えていないので、25作品中最後の二つ「グロットー」「アンスカン・ハウス」について言うなら、なんとも人の皮を被って化けるというグロテスクなグロットーという怪物と悪魔を、それも自分が生き延びたいというだけで孫を悪魔に差し出すセフトンに、いわゆる正統な物語ではない世間のシビア―なリアルを加味したものを感じる。なんともグリム童話的だなあ。
つまりはこの重苦しいと感じるのはこの世のことであって、僕たちの現実世界のリアルだとわかった。
なんだ、そうなんだ。
よく知っている世界じゃないかと妙に納得する。
けっしてファンタジーなんかじゃないという小説の世界がひらけてくる。異世界に迷いこむようなファンタジーぽいつくりとは別様に、きわめてリアルな世界だということでもある。
エヴァンソンには短編集だけでなく、長編もあるらしいが、このような世界が延々と続くような作品なんだろうか。とてもじゃないが、読み通すことはできないね。