桜井英治『贈与の歴史学』中公新書   新たな贈与の概念に出会い考え込む

桜井英治『贈与の歴史学』中公新書   新たな贈与の概念に出会い考え込む

贈与という経済様態が、単に寄付だとか慈善といったプラスのイメージだけでなく、賄賂や虚礼といった負のイメージも併せ持っているとした歴史学的考察。中味は日本中世論。

人類の経済様態は三つしかなくて、贈与経済と、再配分経済、そして市場経済の三つである。今日では圧倒的に市場経済に席巻されているので、経済といえば市場経済しか目に映らないが、それだけではない。本来は三様体はないまぜの形で存在するのだ。

本書では、その贈与経済が必ずしも市場経済と拮抗するものではないことを描いている。贈与経済というのは古臭くて、過ぎ去ったむかしのもと思われるかもしれないが、そうではなく合理的な思考だったことが描きだされる。

……中略

……なんてことを書きだしたが、読了するのに一か月もかかった。しかも半分以上はわすれているだろう。桜井英治の研究史をコンパクトにまとめたような新書なので、ちょっと教養として読んでみるというようなものではない。初めて見る単語と概念に翻弄されて苦るしんだ。

とってもじゃないけれどコメントなんてできない。

ともかくこれまで抱いてきた贈与経済の観念がひっくり返ったような気がする。功利的にして合理的、しかし感情的恨みは別という贈与って、いったいなんだろうと現代人にはよくわからない。

ともかく三つの経済様態はいつの時代もないまぜになっているのだということは確認した。(時代によって変遷してきたのではない。贈与経済→再配分→市場経済(交換経済)と進化してきたというのは間違い)

ということは現代だって三様体は「ないまぜ」になっているということであり、贈与経済は過去の遺物でもなく、現に存在しているということだろう。中国の賄賂経済は有名だけれど、それを取り締まるという習近平の腐敗摘発は政敵の追い落としに利用されているというが、賄賂だって、正義か不正義かはべつにしてれっきとした人間の経済であることは間違がないのだ、ということでどう考えたらいいんだろうと躊躇する。正義の問題を含んでいるから。

もう一つは、贈与には必ず返礼を伴うということで、何か贈与を受けるということは何かを返さないといけないということだろう。現在の贈与である生活支援という名の生活保障や無償の奨学金などは、何かを返礼しないといけないという心的負担を前提にしているということでもある。政府からお金をもらえば、だまって政権に従えということを前提にしているということを求められているかと思うと決して喜べないことだ。それなら、再配分経済をつかって、ベーシックインカムにしてほしいものだ。返礼がないから。みんなに再配分するから。

そんなことなどを考えた。

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