齋藤元章・井上智洋『人工知能は資本主義を終焉させるか』 胡散臭い話になるな

齋藤元章・井上智洋『人工知能は資本主義を終焉させるか』 胡散臭い話になるな

齋藤元章の逮捕という展開をうけて、なんだか腑に落ちるものがあったので、井上智洋のヘリコプターマネーについて書いた。

今回はその井上の最新の新書になる。

今回の逮捕劇が、ほんとうは冤罪なのかそれとも立件され本人も認めるのか? という問題に直接関心はない。むしろ逮捕されたことによって、スーパーコンピュータの開発が遅れるということになるのかということにも関心はない。

なにがそう考えさせるかというと井上智洋の議論が、2030年代にはこれまでのAIとは違う汎用型のAIが出てきて人間の仕事を奪っていくというのが前提だった。その事態を「シンギュラリティー」(特異点)と評したのだった。人工知能によってこれまでの仕事が奪われていくという危機感はさすがに何となく納得していて、関心のあるところだったので大きく反響をよんだということだろう。

これまでの指示されることに関してのみ作用するAIとは違って人間の真似をして自分で考えていくAIという意味で弱いAIから強いAIと言う謂い方をされた強いAIを指している。まだぎこちなく人間の真似をしているだけだろうけれど、それが2030年ごろには登場すると予言しているのだ。そして、それが2050年ごろには本格化するというのだ。人間がコンピュータに支配されるSFモノは数多い。ついそれを意識させてしまうというのはしかたのないことだとしても、此処で語られていることが安易な未来物語になっていることにがっかりした。

そこにはリアリティーがないのだ。

井上はともかく、齋藤になるともっと過激で、SFそのものになって行くようだ。特に第二部「社会的な特異点がもたらす人類の未来」ではもうまったくのSF読み物になっている。能天気な夢物語の世界のようである。人間の遺伝子の操作によって病気から救われるとか必要に応じて臓器を交換して不老にして人が死ななくなると言いだしてはもうリアルな世界ではなくなっている。それを平然と語るのはいかにも胡散臭い。詐欺師の手口と言ってもいいかもしれない。

特にBMI(ブレインーマシンーインターフェース)やBBI(ブレインーブレインーインターフェース)の話に至っては、酒でも呑みながら与太話でもしているのかと思ってしまう。酒場談義ならともかく、そうなってしまっては井上の経済論も齋藤のスーパーコンピュータも嘘くさくなってしまう。

BMIというのは人間の脳とコンピュータを繋ぐことを指しており、BBIというのは人間の脳と人間の脳を繋直接つなげることを指しており、直接つながっているので言葉はいらなくなるというもので、つぎのように話している。

「手術で頭蓋骨を一部開放してフィルム上のデバイスを埋め込むものもあれば、ヘッドギアで測定した脳波をリアルタイムで解析するものとがあります」

まるで脳にUSBのデバイスでもくっつけるように、リニアにつながるというのだ。たしかに神経に刺激をあたえて筋肉をぴくぴく動かすことは可能だから、「5本指のロボットのすべての手指関節を、脳波だけでリアルタイムにコントロールできるところまでできています」ということも可能なのかもしれない。しかし、それはせいぜい単純な筋肉の動きの指令だけで、意識や思考、感情というものまでリニアにつなぐことはできない。脳波は思考内容まで反映しないから。

それはあたかも言語による伝達というものが、可能であるかのように見えて実は完全に伝わらない言語作用に似ている。言い直し、思い違い、何度も繰り返しても伝わらないということを経験していることと同じなのだ。

他人に歯が痛いと言われても、自分の経験からおしはかつて痛いのだろうということはわかるが、どう痛いのかという本当の痛みはわからない。それが齋藤によればリニアにつながっているので、直接そのまま100%伝えることができるというのである。

わたしなどはそんな痛みは伝わってほしくないけれど、齋藤は1人ひとりの脳が結びついて巨大な73億人の知性が誕生するのだという。あほらしくて開いた口がふさがらない。リニアに伝わってしうなら全員が全員発狂するだろうことは疑いがない。何をどう言おうと脳波は思考でも意識でもない。

その大風呂敷である齋藤の本『エクサスケールの衝撃』を本屋で立ち読みしてみると、その部分は詳しく論述されているのではなく、SF小説仕立てにして書いてある。つまりSFと同じエンタテイメントの物語なのだ。早々に書架に戻した。

井上智洋の本がこのようなエンタテイメントの類に落ちることを恐れる。それがTW上にあらわれた、社会に対する彼のスタイルなのかもしれないが、あまりにつまらないスタイルだと思える。

もったいないだろう。タレントとして生きていくことを目指しているならともかく、経済論として、一旗あげたいのならもっとリアルな議論をしてほしいと思った。学者としての立ち位置はもっと戦略的であっていいと思う。

他人のことだから、別にどうでもいいと言えばどうでもいいんだけれど、国民への直接金融、BIへつながる議論をしているだけにもったいないと思う。

次回はベストセラーになっている『人工知能と経済の未来』。

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