望月衣塑子・森ゆうこ『追究力』 追究力という政治には必要な力

望月衣塑子・森ゆうこ『追究力』 追究力という政治には必要な力

これまでのブログにはないようなタイプの本なので、どう扱っていいのか迷ってしまう。内容そのものについては「森・加計問題」に集中しているので政治的発言になってしまうが、そこに触れないなら何が気になるのだろうか?

そのような問を立ててみた。

本を現実の代用物としてあつかおうと読書イニシアチブを始めたのであるから、このようななまなましい本もあつかってみたのだが、このような政治的パンフレットの延長上にあるような本は、たいがい自慢話か逆にやたら腐す類のものが主流を占めている。持ち上げるか、持ち下げる(?)しかないのだ。

政治的内容については、その主張に呼応することばに賛同するしかなくご両人とも頑張っていただきたいというしかない。

内容ではなく、そのスタイルにその姿勢に注目してみると、そこには大言壮語するのではない、等身大の語りだということがわかるだろう。

つまりは、語りそのもとしてはおもしろくない。劇的でも過激な発言で誘引してくれないから。等身大というのは妙に不安をあおるのでもなく、またポピュリズムのように興奮してアジるような本ではなかったということだ。

森ゆうこの講演会には一度だけ出かけて行ったことがある。受けをねらってエピソードを披歴するがドカンとうけるわけではなく、ちいさく笑いが起きる程度で過激な批判が繰り広げられるわけでもなかった。それは逆に森ゆうこという信頼できる人物の人柄に出会ったというものであった。まじめに、それも静的に聞き、そして考えたという印象だった。

本書でもその時と同じ印象をうける。

安倍総理に対しても、敬意をはらって質問するといあたりにそれがうかがえるわけで、いくら批判的であっても人格を否定してはいけないということを何度も述べている。そういう文言が出てくること自体がかなり静的におさえて発言していることがこの本のスタイルであり、ご両人のスタンスなのだということがわかる。(低俗な言葉で言えば怒りにまかせてぼろくそに発言してはいけないということだ)

それは野党であれ与党であれ必要なことで、この「追究力」は政権交代があったとしても必要になってくると思える。政治にもうこれで終わりというものがないように追究力にもこれで終わりというものはないだろう。

ところで、元にもどって、現実の代替え物として本を扱おうとしたので、このような政治的なものをどう考えたらいいのかという前提にもどってみると、やはり政治的には、この本を購入してもらって、多くの人に読んでもらうことを目的にすべきだというのが現実的にして政治的な意味あいなのだろうが、そのように宣伝することは僕の任ではないのでできない相談だ。

ただし、本気になって政治について静かに考えてみようとするとき、本書は役に立つと思う。

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