関裕二『古代史 不都合な真実』日本書紀をゆがめたのは藤原氏

関裕二『古代史 不都合な真実』日本書紀をゆがめたのは藤原氏

まことにコンパクトにまとめた書き下ろし最新刊。あまりにコンパクト過ぎて、日本書紀を反証する12の文書の後半は駆け足になっている。

巷間言われている、『日本書紀』をゆがめているのが、天武天皇ではなく藤原不比等そのひとであり、藤原氏のとって都合のいいように書き変えられたのだというのが結論。

これら12文書の中で注目できたのは①『古事記』は『日本書紀』の後にできた文書であり、『先代旧辞事本記』は古事記を参照して後に造った文書であるという点だ。一般的には古事記、日本書紀と並べて紹介するが、じつは一番早いのは日本書紀だと言っている点だろ。なぜって日本書紀しか残ってないからだ。なぜ、残ったのかというとやはり藤原氏の権力が長く続いたからだろう。

②もうひとつ面白いのは藤原鎌足=豊璋説だ。なぜ百済の王子が鎌足なのかよくわからないが、関裕二はそう言う。豊璋が鎌足だとするとなぜ豊璋が切った鬼室福信の子集斯に天智4年か10年に冠位を授けているのだろう。鎌足が死んだのが天智8年と書紀にはあるので、だから重複記述になっているのだろうか? しかし、鎌足=豊璋説だとなぜ斉明・天智が百済寄りだったかは説明しやすいだろう。大和の政治勢力の中にこれまでにない異国の政治的考えの人が入ってきたから、だれも藤原氏をおさえられなかったというのはありうるかもしれない。

何せ、豊璋は百済の将軍鬼室福信の首を塩漬けにして曝したというので、日本の習慣にはない行いだと関裕二は語気をつよめる。蘇我山田石川麻呂も切り刻まれて殺されている。

最後のあとがきにもうひとつの仮説、聖徳太子と大海人皇子(天武天皇)が親子関係だったかあもしれないというのが突然でてくるが、詳細は述べられていない。

それにしても、コンパクトでいい。いま、孫栄健の『邪馬台国の全解決』を読んでいるけれど話長いわ。

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