孫 栄健『決定版 邪馬台国の全解決』 「魏志」内存在

孫 栄健『決定版 邪馬台国の全解決』 「魏志」内存在

邪馬台国とは何かというとそれは『魏志 倭人伝』のなかに存在している。そこで孫は徹底的に読み解く。それもただ読むのではなく「春秋の筆法」にそって読んだというのだ。

中国の史書は孔子が書いた「春秋」の独特の叙述方式があるという、その伝統によらないと読み解けないという。そんなこといっても現代人にはすべてを読み解けないので、方法としては『魏志』を読み解いて『後漢書』をあらわした笵曄がどう「魏志」を読んだのか、『晋書』をあらわした房玄齢がどう読んだのかをヒントに読み解いたのだ。

確かに『魏志倭人伝』を読むといっても、勝手に読んでいたのでは何もわからない。議論の多い前半三分の一の地理記事では邪馬台国がどこにあるのか皆目わからい。そこでいろいろな説が出てくる。しかし、自分たちの勝手な思い込みによる解釈で、地理的状況を「読み解くというのでは、定まらないのは至当だろう。

実は、邪馬台国は「魏志」の中にあるのであって、研究者や愛好家の思惑の中にあるわけではない。「魏志内存在」なのだ。

そうだとするなら、「魏志」のなかで解決するはずなのだ。孫は先の笵曄の解釈を手掛かりに読み解いた。

邪馬台国は、九州北部の弥生の三十国の大集落の総称であり、卑弥呼は奴国の出身で、高祖山に楼観があった。男弟=一大率=伊都国王=難升米であり、卑弥呼は暗殺された。

またまた、卑弥呼はアマテラスであり男弟はスサノヲだという。ここに行きつくまでは、かなり長い話に付き合わなければならないが、その魅力は大きいと言ってよい。

孫はこの見解に「ノーなら、まあ、それはそれで、別の切り口からご研究ください」と言ってのける。春秋の筆法に就いても、中国の史書についても何の知識もないものにとっては、ただうなずくしかないので、その凄さに興奮した。

読後の感想としては、そんな邪馬台国が東遷したというのは、やはり信じられないという思いだ。なにせ邪馬台国関係の王たちは中国の王朝を意識してそれにまつらうことによって政権を維持したいという政治哲学であり、大和の勢力は、『随書』の「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや…」とあるように対等の関係ないし、自主独立の政治哲学だからだ。まったく違っている。邪馬台国の同時代大和には纏向遺跡にみるように巨大な勢力があったのだが、全く触れられていない。「女王国の東、海を渡りて千余里、復た国有り、皆、倭の種なり」とある。これかもしれないが、『後漢書』には「女王国自り東のかた海を渡ること千余里にして、拘奴国に至る」とあるので、よくわからない。

孫栄健によってすべてが解明されたと豪語することの意味は、古代史の問題が解決されたというようなものではなく、むしろつねに切実な外交関係のなかにあったという政治状況が東のはての倭にもおよんでいたということであり、その動向によって翻弄されていたということでもある。現在に置き換えれば、アメリカとの関係であり、また中国との関係という一次方程式が連立方程式にかわっているというにすぎない。2~3世紀の国際的支配状況下での邪馬台国の読み解きであった。

ところで、これが講演であり質疑応答があれば質問してみたいことがある。それは素人ながら、邪馬台国は北部九州の弥生の三十国の総称だという。そうだとすれば、p-252に上げているようにそれぞれの国には王がいて官がいて副官がいる。最大の権力者が伊都国王で女王卑弥呼は近くの高祖山にいる。なのに官がいて副官がいてその下もいる「伊支馬ー(次)弥馬升ー弥馬獲支ー奴佳下鞮」と記している。城柵の中にいるのだろうか。それとも別の役所があるのだろうか? 卑弥呼と男弟の関係が、古代の〈ヒコーヒメ制〉であることは、よく語られることだけれど、それはなにも邪馬台国に限らず双分制は天皇制にもあった。実際の権力者と祭祀をつかさどる宗教的権威との関係だ。しかし、宗教的権威にも官僚はいるのだろうか?

そんなことを感じたが、邪馬台国関連本はおもしろがってよく読んできたが、一番リアリティーがあって、知的興奮を覚えた。

つまりは、邪馬台国は中国の政権支配の中での関係として存在するのであって、それを無理やりに日本書紀に当てはめても仕方がないだろう。「魏志内存在」なのだ。

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