ハリー・G・フランクファート『真実について』真実は一つ

ハリー・G・フランクファート『真実について』真実は一つ

『ウンコな議論』や『不平等論』につぐ第三弾とおもいきやそうではなかった。

ウンコな議論につぐモノグラフシリーズ第二弾として出版されたものだったという。評判はさきの著作がニヤリとさせるひとを食ったようなタイトルなので好評を博したのに比べるとまあそうでしょうという結論によって売れなかった。それで、不平等で何が悪いと開き直ったような著作『不平等論』へ移っていったという。

通読してみて、①真実はいつも事実とともにあるということ②真実は実用的な価値をもち、個別具体的な事象において有用だ。ということで嘘、偽りとかはあまり関係がない。

むしろ「永遠の真実」などというものは無いのだ。

以上

と言ってしまえば、これで終わりなのでもうすこし、今回も山形浩生のせっかくの長い解説を読んで、もうすこし考えてみる。

山形は『真実について』が『ウンコな議論』の二匹目のドジョウをねらったモノグラフシリーズだという批判的コメントが出ることは承知していたようであるが、この論の重要性を述べている。それは「ポスト真実」とか「フェイクニュース」とかと言って真実がいくつもあるという論が幅を利かせ始めている中で、フランクファートは厳しく批判しているからだ。

真実は一つであっていくつもあるわけではない。特に理系、実用的な場面では一つしかない。橋を架けるのも、車が動いているのも一つしかない正しい真実で動いている。それは何年もかけて発見された原理である。(数理科学の原理ということ。これは一つしかない)。社会的なというか、人間の観念的な世界においては、それぞれの人に真実があるかのように思えるが、これも真実は一つと考えないと成り立たない。むしろ、その真実を求めて論争しないと人類は闇の中に陥ってしまう。

前回、前々回の議論に比べると、至極穏当な見解になっているが、正しいと考える。でも。面白かというとそうでもなかった。

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