内田洋子『モンテレッジオ小さな村の旅する本屋の物語』礼賛だけで批判がない

内田洋子『モンテレッジオ小さな村の旅する本屋の物語』礼賛だけで批判がない

読み通すのにかなり苦労した。決してむつかしい文章でもないし内容でもない。むしろ情感豊かに描写されている。それなのに読み進めることが辛くて、何日もかかった。はじめは一気に読み通せそうに感じたのに、それがそうはいかなかったのはなぜだろう?

話の内容はイタリアの貧しい村の、本を使っての村おこしをやったという話だ。それは1800年代初頭よりはじまり籠に本をいれて配んで行商をしたというものだ。

これまで本屋さんにまつわる話、そして古本屋さんの開業のはなし、一代記等々とかなりの数を読んできた。本好きが本屋の話を読むといのは、舞台裏をされけ出すような楽屋話の類かもしれないのだが、そうとう読んできた。だからこの本に登場する情熱と苦しさはよくわかる。

電子書籍でも同じようなもので、売り歩く営業がなくてはやはり売れないのだということは十分承知している。それでもなぜか苦しいのは、物語を引っ張っていく謎のようなものが希薄なのか、それとも著者内田洋子が、取材でエピソードを集めてくることはたくさんあるのに、それに対する評価というか「評」を述べようとしないからなのかわからない。ただ、ただ礼賛するものだから。つい「で、どうなの」という思いがついてまわる。物語はもりあがったところでプツンと切れ、それからは切れ切れに続いていく。

この本の16章のうち10章までが、ネットHPに連載されたものだという。あと6章を追加して一冊にしたとあるが、ネットに掲載したというだけあって、その写真はすばらしいものになっている。それはまちがいがないのだ。

しかしながらというのも変だけれど、本好きとして、ほんの大切さは十分加味しながら、本は所詮は紙の束であって、紙の束に交換価値としての価格がついてくるのだということもまちがいがないわけだ。

その本を執筆したり作成したりした者にとってはかけがえのないものだけれど、売るという側に立った人としては、それは商品なので冷静に距離をとらないといけなかっただろう。「商品に手をだすな」と言われているように、本に淫してはいけない。まして本屋なのだから所有、蒐集してしまってはいけないのだ。あくまで売り物だから。そんな観点が提出されていないからなのだろうかと考え込んでしまった。

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