鳴海風『和算小説のたのしみ』10年を経ての再読

鳴海風『和算小説のたのしみ』10年を経ての再読

本書の発行は2008年3月になっている。購入は2008年4月9日のレシートが挟んであった。そのページまで読んで、思い出したんだ。この展開は読んだことがあるぞって。内容はほぼ忘れていた。和算を題材にした小説のことだったのだが、何故によんでいたんだろうって。

そこで昔の読書ノートをひっぱり出してきて調べてみた。けっこうなにやら難しいことを書いている。おそらく新しい小説を目指していたから、それのヒントにしたかったのではないだろうか。そこに書かれてあることは、ほとんど変わっていないことを確認するとともに、進歩なしだなと愕然とする。

この十年で何が変わったのだろう。

あるとすれば、若干余裕をもって、小説をながめていることかもしれない。ともかくこの10年で、「実験小説」という旗を立てたから、それで落ち着いているのだ。ただ、これでは、だれも読んでくれない。読んでくれなくてもいいんだけれど、この世に生きている身としてはそれではすまない。みんなの生きるところに戻るしかないのだということは真実だから。また、還相的生き方もこれを支持する。

世人が小説と考えるものに反抗ばかりしていても仕方がないのだから。

そのあたりだけだろうか。変わったのは。

そんな目で見ると、和算小説は典型的なエンタテイメントの形式をとった歴史小説で、題材が和算だったということになる。

そしてこれからの和算小説としてこれまでの小説群をX軸に数学の専門性、反対は数学の遊戯性、Y軸に人間描写、反対は物語のおもしろさをとって二次元のシェーマにしている。そして本書で扱った小説を配置してみたのだ。そこで欠けているピースは(A)数学の専門性が高いと共に物語の面白さという領域と(B)人間描写が優れていて、数学の遊戯性がるという領域だろうか。この二つに分類できる領域がのこされた和算小説のこれからなのだと思える。

同じような方法は、推理小説にも、SF小説にも適用できるのであろうが、和算という狭い分野の小説では手ごろな実験場になっている。

もし、昔に戻って欲を言わせてもらえば、このシェーマに小説の革新性というZ軸を設けて三次元にすればまさに「新しい小説」になれるということだ。

(鳴海風『和算小説のたのしみ』岩波書店 見開き絵口)

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